築野政次の道程
見好村(和歌山県伊都郡かつらぎ町)に生まれる
大正10年2月20日に、この紀ノ川の南、見好村、現在のかつらぎ町に、築野政次は生まれました。
日本有数の自然林を誇る大台ケ原を源とする紀ノ川は、古来、大和と紀伊に多くの文化を育み、紀ノ川平野に豊かな実りをもたらしてきました。
昭和12年3月31日県立紀北農業学校卒業
父辰治、母つや、七人兄弟の次男として生まれた築野政次は、三谷小学校、さらに県立紀北農業学校を卒業後、両親の『商いをさせたい』という願いにより、大阪の木津市場へと働きに出るのです。
大阪富士商会奉天出張所(昭和14年〜昭和16年)
翌年、伯父の会社である富士商会に勤めるようになり、この大阪での働きぶりを認められ、政次は、新設の奉天出張所を任され、満州へと赴く事になりました。

富士商会奉天出張所長・築野政次は、弱冠19歳。 日本人5人中国人3人を部下に遼寧省一円に販路を広げ、モーター、トランス、ポンプ、スイッチ、電話機等、奉天随一の売上げを記録。 しかし翌年には、兵隊検査第一甲種合格、 2年で故郷見好村に帰りました。
和歌山歩兵24部隊入隊
この年の12月、太平洋戦争が勃発。 政次は、和歌山歩兵24部隊に入隊。 訓練の後、出動命令が下され、再度軍人として満州の地を踏む事になりました。
昭和17年前橋陸軍予備士官学校入校 18年同校卒業 8期生
陸軍少尉・昭和19年満州第9134部隊転属
翌年、幹部候補生として前橋陸軍予備士官学校に入校。 このときの同期生のほとんどが、後にサイパン島で玉砕。 政次は、見習士官として関東軍化学部に赴任し、少尉任官と同時にフィリピン方面への転属を命じられました。
昭和19年6月フィリピンミンダナオ島北部方面警備
昭和19年6月、マニラに向け船団が出発。 このころの太平洋は既にアメリカ軍の制圧下にあり、正に決死の船出でした。 前後の船団のほとんどが撃沈される中、幸いにも政次の船団は、アメリカ軍が台風を避けて待機していたことで、難を逃れました。
ミンダナオ島北部最大の港、カガヤンデオロでは、激しい戦闘が繰り返され、遂に山中に退却。 しかしここで政次を待ち受けていたものは、飢えという試練でした。
マニラ・カンルーバン捕虜収容所に収容
餓死寸前でアメリカ軍に収容され、レイテ島タクロバン、さらにマニラのカンルーバンの収容所へと移され、一年もの日々を戦犯容疑者として過したのです。
昭和21年8月6日佐世保に復員
PWNo.40836築野中尉の戦犯容疑が晴れ、無事帰国することができたのは、終戦から1年たった昭和21年8月6日でした。

大阪、満州での勤勉な奉公、激戦の地フィリピンでの過酷な戦い、捕虜収容所での苦しい体験が、今までの築野政次を大きく支え、育ててきました。
昭和22年2月精麦業創業 昭和24年2月築野食品工業株式会社設立
初代社長に就任
日本中が混乱し、飢えていた戦後、昭和22年、25歳の築野政次は、父辰治の援助を受け、今は亡き弟、築野清三と共に、農林水産省指定の精麦業を創業。 そして24年には、築野食品工業株式会社を設立し、初代社長に就任しました。
昭和35年3月 米糠を原料として和歌山で製油業を創設
昭和35年、米糠を原料とする製油業に進出。 和歌山に工場を創設します。 当時の日本は、戦後の混乱期も収まり、食生活も豊かになりつつあり、麦の消費減退を見越し、事業の多角化を図ったのです。
昭和37年10月宝塚工場建設 昭和43年9月大阪工場建設
昭和37年、宝塚に、昭和43年には、大阪に、米糠原油の抽出工場を建設。
宝塚工場には、勝治を、大阪工場には、清三の息子、寿道を迎え、西日本で発生する米糠の集荷ネットワークを確立しました。 さらに本社和歌山工場には米蔵を迎え、精製部門を増強。 親族がお互いに助け合うことで、事業の基礎固めに努めています。
米生産国との技術交流
築野政次は、国際交流にも積極的に取り組み、各国の技術研修はもちろん、ドイツ、スウエーデン、アメリカ等からプラントを導入。 又、アジア、アメリカ等の米生産国との技術交流も深め、国境を越えた米糠の利用にも貢献。
平成3年湖南省より国民栄誉賞受賞
特に、技術指導・研修生の受入などの功績に対して、中国湖南省政府から国民栄誉賞を受賞しています。
昭和45年10月 築野運輸株式会社設立
和歌山工場から製品を発送し、各地のユーザーに確実にお届けするために、昭和45年、一般区域貨物自動車運輸事業の許可を取得。 原料の集荷から製品の発送に至る物流のネットワークの確立にも力を入れています。
昭和47年11月 築野ライスファインケミカルズ株式会社設立
精麦業、製油業に続く第三の柱として、昭和47年、米糠の有効利用を目的とした築野ライスファインケミカルズ株式会社を設立。 以来、米糠から数々の医薬品・化粧品原料、食品・飼料添加物等を開発し、国内のみならず世界各国に製品を輸出しています。 中には世界特許を取得した製品もあり、その安定供給と高品質は、各ユーザーから高く評価されています。
昭和46年〜高野山にお灯明の油を献納
地元の小・中・高校のみならず、大学の緑化運動や、情操教育に支援
事業に専念する一方で、本社和歌山工場から仰ぎ見る、高野山への信仰心から昭和46年以来、お灯明の油を献納。 さらに、高野山大学吹奏楽部への寄付を始め、地元の青少年の情操教育にも力を注いでいます。
昭和48年11月〜平成3年12月 フィリピンミンダナオ島での遺骨収集活動
また『日本に帰ることができなかった戦友の遺骨を持ちかえりたい』という強い気持ちを持った築野政次は、フィリピン・ミンダナオ島で過去10回遺骨収集を実施。 871柱にも及ぶご遺骨を収集してまいりました。 さらに現地での慰霊碑の建立や慰霊祭も行っています。
昭和58年12月〜平成元年10月 和歌山県公安委員会委員
一方、築野政次は、和歌山県の公職に就き、8年間にわたり、県警察の公正な運営管理にもあたりました。
平成3年 高野山奥の院に物故者供養塔建立
平成3年、築野食品工業グループの物故者供養塔を高野山奥の院に建立、毎年慰霊祭を行っています。
平成6年5月 高野山奥の院に昭和殉難者法務死追悼碑建立
更に、戦後戦犯として殉難された方々の慰霊のため、全国の有志に呼びかけ、同じ高野山奥の院に追悼碑を建立。 毎年、1180余命の方々の年次法要を行っています。
平成7年11月〜11年9月 高野山における平成大修理に参画
平成7年より、高野山の総本山金剛峰寺で始まった平成の大修理にも参画。 奥の院英霊殿改修、大師教会大講堂屋根葺き替え、伽藍根本大塔全面塗装、蓮池・善女龍王社殿一建立等、協力を惜しまず、多額の浄財を寄進しています。
平成10年4月29日勲四等瑞宝章受章
そして、平成10年4月29日、永年の産業振興の功労により、勲四等瑞宝章を授与されました。 これはひとえに、皆様方のお陰と心より感謝しております。


これからも業界、地域社会の発展のため、力の限り尽くしてまいります。

高野山奥の院英霊殿となりに昭和殉難者法務死追悼碑があります。毎年、太平洋戦争で殉難死された英霊の方々のため法要を行っております。
ご参同いただける方は是非ご参拝下さい。

お問い合せは下記まで
〒649-7194
和歌山県伊都郡かつらぎ町新田94
築野食品工業内
昭和殉難者法務死追悼碑を守る会事務局まで
TEL:0736-22-0061(代)
FAX:0736-22-6069

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